パブロ・ピカソ
Pablo Picasso/1881-1973

キュビスムを創始したスペインの奇才

スペイン生まれの世界的な画家パブロ・ピカソ(Pablo Picasso/1881-1973)は、その生涯で一万点を超える油絵・デッサンを残し、10万点にも及ぶ版画、その他数百点の彫刻や陶器作品を製作するなど、非常に多作な芸術家としてギネス・ワールド・レコード(ギネス世界記録)にも登録されている。

ピカソは「キュビスム(キュービズム)」と呼ばれる芸術動向の創始者とされ、従来の遠近法(一点透視図法)によらず、異なる複数の視点からとらえた物体の形を一つの画面に描写し、断片化された平面として再構成する独自の表現方法を確立した。

ピカソの代表作ゲルニカ

代表的なピカソの作品としては、学校の教科書や授業などでも取り上げられる絵画「ゲルニカ Guernica」が、おそらく日本で最も知名度が高い作品と言えるだろう。スペイン内戦中の1937年に制作され、ドイツ軍の激しい空襲を受けたスペインの都市ゲルニカを題材としている。

ゲルニカの解説・歴史的背景・エピソードについてはこちらの「ゲルニカ ピカソの絵画 解説・意味」のページを適宜参照されたい。

キュビスムの原点 アヴィニョンの娘たち

ピカソによる他の有名な絵画としては、キュビスムの原点とも言える1907年の「アヴィニョンの娘たち Les demoiselles d'Avignon」が取り上げられる機会が多い。同作を見た友人のジョルジュ・ブラックはピカソの作品に同調し、以後二人は共同でキュビズムの追及に取り組んでいくことになる。

<ピカソ作;「アビニヨンの娘たち Les demoiselles d'Avignon」>

他にも、ピカソの愛人ドラ・マール(Dora Maar)をモデルにした絵画「泣く女」(1937年)も有名な作品の一つ。「泣く女」をモチーフとしたバリエーションは100種類以上存在するとされ、「ゲルニカ Guernika」の中にもこの系統の「子供を抱きかかえてなく母親」が描写されている。

時代別の代表的な作風

青の時代 1901-1904

ピカソが二十歳を過ぎた頃の、薄暗く陰気な青を主に用いた陰鬱な作品が続く「青の時代」。1901年2月に親友カルロス・カサヘマス(Carlos Casagemas)が恋愛沙汰でピストル自殺を図った事件が大きく尾を引いた。

青の時代を象徴する代表作は、親友カサヘマスと恋人のジェルメーヌが抱き合う姿が描写された「人生 La Vie(ラ・ビィ)」、ギターを弾く老人を描いた「老いたギター弾き」、暗い表情を浮かべ海辺で身を寄せ合う家族を描いた「悲劇(海辺の貧しい家族」、「盲人の食事」などがある。

右挿絵:ピカソ「人生 La Vie(ラ・ビィ)

ばら色の時代 1904–1906

恋人フェルナンド・オリヴィエ(Fernande Olivier)をモデルにしていた時代で、オレンジやピンクを用いた明るい色調の作風が続いた時代。サーカスのアクロバットや道化師のハーレクイン(アルルカン)などが描かれた。

パイプを持つ少年 Garçon à la pipe 1905

アフリカ彫刻の時代 1907–1909

キュビズムの原点となる絵画「アヴィニョンの娘たち Les demoiselles d'Avignon」はアフリカ彫刻・古代イベリア彫刻などの影響を受けて製作された。この時期に醸成されたアイディアは次のキュビズムの時代へ直接結びついてゆく。

キュビスムの時代 1909-1912

セザンヌに強い影響を受けたセザンヌ的キュビスムの時代(1909)、ジョルジュ・ブラックと共にキュビズムを創始した分析的キュビスムの時代(1909-1912)、そしてファインアートで初のコラージュ技法を用いた総合的キュビスムの時代(1912-1918)に分けられる。

ピカソ 三人の音楽家 1921 Museum of Modern Art

ピカソの新古典主義の時代 1918-1925

第一次世界大戦(1914-1918)中の1917年、バレリーナのオルガ・コクローヴァと知り合い翌年に結婚したピカソは、この頃から古典的で写実的な描法を次々と生み出していく。1917年作の「安楽椅子のオルガ」では、奥行きの描写にキュビズム的な要素を残しつつも、オルガの顔や腕は丸みを帯びて写実的。

シュルレアリスムの時代 1925-1936

エルンストやダリ、ルネ・マグリットらが属したシュルレアリスム(超現実主義)の影響を受け、妻オルガとの不和で精神的に不安定となったこともあり、非現実的で怪物のようなモチーフが数多く描かれた。

ピカソ関連のトリビア・エピソード

非常に長いクリスチャンネーム

ピカソは長い名前(クリスチャンネーム/洗礼名)を持つことでも知られ、講談社「ピカソ全集」(1981年)によれば、パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Crispin Cripriano de la Santísima Trinidad)とされている。

この長い名前は聖人や親類縁者を羅列したものだそうだが、フルネームとしてはさらに長くなり、両親の第一姓がついて「ルイス・イ・ピカソ(Ruiz y Picasso)」が自身の姓となる。ピカソの生まれ故郷マラガでは一般的な長さの名前だったようだ。

モナリザ盗難で逮捕?

モナリザ1911年8月22日、ルーブル美術館所蔵の世界的名画「モナ・リザ」が何者かによって忽然と姿を消した。この日はルーブル美術館の休館日であり、週に一度の館内修理の日で業者の出入りも多く、窃盗グループにとっては絶好のチャンスだった。

パリ警察は、容疑者として、詩人ギヨーム・アポリネールとその友人の画家ピカソを逮捕・拘留した。アポリネールの家に同居していたピエネは窃盗の常習犯で、過去にルーブル美術館から彫刻を盗んでピカソに売りつけていた前歴があり、アポリネールの逮捕から2日後にピカソは逮捕された。

二人は証拠不十分で釈放され、盗まれた「モナ・リザ」は2年後の1913年12月にイタリアのホテルで真犯人が捕まり、無傷でルーブル美術館へ無事戻されることとなった。「モナ・リザ」が発見されたホテル「トリポリ・イタリア」は、その後ホテル名を「ホテル・ラ・ジョコンダ」(モナ・リザの意)に変えて便乗営業したという。

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