第5の封印 エル・グレコ

ヨハネの黙示録をモチーフとしたエル・グレコ晩年の祭壇画作品

「第5の封印 The Opening of the Fifth Seal」は、エル・グレコ晩年の宗教画作品(作者の死亡により未完)。メトロポリタン美術館(ニューヨーク)蔵。新約聖書の最後に配された「ヨハネの黙示録(ヨハネが受けたキリストの啓示)」第6章の一部を題材としている。

トレド(スペイン)のタベーラ病院(タベラ病院)における礼拝堂の祭壇画として製作された。タイトルは、「黙示録第5の封印」、「解かれる第5の封印」、「聖ヨハネの幻視」、「聖ヨハネのビジョン The Vision of Saint John」などとも表記される。

エル・グレコ「第5の封印」では、左側前景に天を仰ぐ聖ヨハネが大きく描かれ、後景には黄色と緑色の布の前で天に向かって叫ぶ殉教者たちの魂が配されている。一番右側の魂は天使から白い布を手渡されているが、これは「ヨハネの黙示録」第6章「7つの封印」の記述に基づく描写と思われる。

【関連ページ】 7つの封印 「ヨハネの黙示録」第6章より

エル・グレコの研究書「エル・グレコとグレコ派」を著したアメリカ人研究家ハロルド・ウェゼーは、この祭壇画「第5の封印」について、「彼の最も独創的な作品」と評価しているほか、元上智大学教授(スペイン美術史)の神吉敬三氏は、中央公論社「カンヴァス世界の大画家 12 エル・グレコ」の作品解説の中で、「まさにエル・グレコの自由奔放なイマジネーションの産物」と論評している。

ピカソ「アヴィニョンの娘たち」との関係は?

スペインの画家ピカソ(Pablo Picasso/1881-1973)による1907年頃の油彩画「アヴィニョンの娘たち Les Demoiselles d'Avignon」は、同じくスペインのトレドで活躍したエル・グレコの祭壇画「第5の封印」との関連性が指摘されることがある。

上の画像がピカソ「アヴィニョンの娘たち」。アフリカ部族のマスクや古代イベリア彫刻、オセアニア美術などの影響を受けた奇抜な表情が特徴的なこの作品は、エル・グレコ「第5の封印」からも少なからず影響を受けたとされている。

具体的に、ピカソはエル・グレコ「第5の封印」のどこからインスピレーションを受けたのだろうか?エル・グレコの作品をよく見ると、中央左側で黄色い布を背景とした数人の殉教者の立ち並ぶ姿が見られるが、この部分が構図的にもピカソ「アヴィニョンの娘たち」に相通ずるところがあるように思われる。

ピカソとエル・グレコは時代こそ違えど、同じスペインで活躍した画家というつながりもあり、ピカソがエル・グレコの作品から影響を受けていたとしても何ら不思議はないだろう。

トレドのタベーラ病院とは?

エル・グレコ「第5の封印」は、トレド(スペイン)のタベーラ病院(タベラ病院)内にある礼拝堂の祭壇画(祭壇衝立画)の一枚として製作されたもの。タベーラ病院はタベーラ施療院(タベラ施療院)とも表記され、正式名称はサン・ファン・バウティスタ病院。「サン・ファン・バウティスタ」とは「洗礼者・聖ヨハネ」の意味。

サン・ファン・バウティスタ教会(上写真)の祭壇画は、中央祭壇と脇祭壇のために三枚の主題が用意され、いずれもエル・グレコの晩年に描かれた絶筆。中央は洗礼者・聖ヨハネによる「キリストの洗礼」、左右に「第5の封印」と「受胎告知」(サンタンデール・セントラル・イスパノ銀行所蔵)が当時配置されていた。

現在、タベーラ病院はスペインの名門貴族メディナセリ公爵家により所有され、メディナセリ公爵家財団の宮殿美術館となっている。

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エル・グレコ
ギリシャからスペインのトレドに移住した異邦人画家。ルネサンス後期マニエリスム。
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