夜のカフェ ゴッホ

ゴッホが寝泊まりした深夜営業のカフェ 卑しい大衆居酒屋の闇

「夜のカフェ Le Café de nuit」は、フランス南部のアルル滞在期(1888年9月)に描かれたゴッホの絵画(油彩・キャンバス)。アルルの「黄色い家」からほど近いラマルティーヌ広場に面するカフェが題材となっている。

パリにある弟テオのアパルトマンを離れ、ゴッホは1888年2月に南仏アルルに到着した。オテル=レストラン・カレルという宿に長期宿泊していたが、高い宿代を要求されたため、同年5月からは後に有名になる「黄色い家」に部屋を二つ借り、アトリエとして使い始めた。

ただ、「黄色い家」には寝具がなく、買いそろえる資金も足りなかったため、3軒隣の「カフェ・ドゥ・ラ・ガール the Café de la Gare」の一室を借りて同年9月まで寝泊まりしていた。

不調和で対照的な赤と緑

寝室を間借りした「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」は、酔った客や落ちぶれた男たちが夜を明かす深夜営業の居酒屋であり、絵画「夜のカフェ」の中でも労働者風の酔い潰れた男達や娼婦らしき女が描かれている。

ゴッホは、弟テオへの手紙の中で、絵画「夜のカフェ」について、「このカフェでは、人々は身を滅ぼし、気が狂い、罪を犯しかねない。卑しい大衆居酒屋の闇の力をありのままに表現しようと試みた。」と述べている。

また別の書簡では、「赤と緑を使って人間の恐ろしい情念を表現したかった。部屋は血のような赤と暗い黄色、中央には緑のビリヤード台。レモンイエローで描かれた4つのランプはオレンジと緑に光を放つ。ほとんど相容れない赤と緑ですべてが不調和で対照的だ。」と伝えている。

オーナーは「アルルの女」ジヌー夫人

カフェ「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」の経営者は、ジョセフ・ミシェル(Joseph-Michel Ginoux)とその妻マリー・ジヌー(Marie Ginoux)。ジヌー夫人は後にゴッホの絵画「アルルの女 L'Arlésienne」(1888年)のモデルとして描かれている。

ナサニエル・ハリス(Nathaniel Harris)の著書「The Masterworks of Van Gogh」によれば、ゴッホは、ジヌー夫人から高い宿代を請求されていたようで、冗談交じりに「このカフェを絵に描いて復讐する時が来た」と経営者に言ってやったと、弟テオに宛てた手紙の中で述べている。

黄色い家でゴーギャンと共同生活を開始

カフェ「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」を借り始めた1888年5月頃、フランス・ブルターニュのポン=タヴェン (Pont-Aven)にいたゴーギャンの生活が苦しい状況にあるのを知ると、ゴッホは「黄色い家」での共同生活をゴーギャンに提案していた。

同年9月、弟テオからの仕送りで家具や寝具を揃えると、ゴッホは「黄色い家」で寝泊まりを始め、ゴーギャンがアルルに着く前に自信作を揃えようと、「夜のカフェテラス」、「黄色い家」、新しく用意した「アルルの寝室」を次々と書き上げていった。

なお、「夜のカフェテラス」と「夜のカフェ」のモデルは別の店であり、前者はアルルのプラス・デュ・フォルム広場に面した店で、今日でも「カフェ・バン・ゴッホ」という店名で営業している。

夜のカフェテラス」 1888

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